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2024年3月信州レスキューキッチンカー能登半島地震支援と4月支援に向けて

更新日:4月1日

今回は、2回目の炊き出し支援、輪島支援で入るのは1月から4回目。3月21ー22日の2日間の活動。輪島市内の避難所や福祉避難所への救援物資搬入。22日のみ輪島朝市にて炊き出し。また、自宅避難者の方々に対して物資支給を行いました。ちょうど22日には天皇皇后両陛下が輪島朝市を訪問されておりました。




以下、被災地の状況報告です。少しでも早い復興につながると良いです。

※被災の現地に行っての気づきは人それぞれです。一人の個人の感想に過ぎませんので、ご注意ください。


 

能登地震被災地炊き出しと物資支援 中間報告2024年3月分

信州レスキューキッチンカー

 

<支援1回目 3月4〜8日 320食>

3月5日 昼食炊き出し

・  活動場所:避難所

・  炊き出し内容:国産牛しぐれ煮うどん100食、おやき100食

・  寄付物資:タオル1箱、化粧品1箱、生理用ナプキン2箱、スポーツ飲料3箱、マスク1箱、コラーゲンドリンク1箱

3月5日 夕食炊き出し

・  活動場所:福祉避難所

・  炊き出し内容:国産牛しぐれ煮うどん60食・おやき60食

3月6日昼食炊き出し 

・  活動場所:福祉避難所

・  炊き出し内容:国産牛しぐれ煮うどん80食

・  寄付物資:生理用ナプキン2箱、スポーツ飲料2箱、お菓子6箱、チキンライス2箱

※強風で屋外での調理が難しいため、NPO輪島朝市の一室をお借りして調理し、うどん弁当を作り、1時間離れた門前町へ配達し弁当配布を行った。

3月7日

・  活動場所:NPO輪島朝市にて

・  炊き出し内容:南信州肉まん200食、国産牛しぐれ煮うどん90食

・  寄付物資:米約百キロ、水約300L、スポーツ飲料3箱、トマト6箱、ネギ2kg、トイレットペーパー、菓子ラムネなど

 

<支援2回目 3月21〜22日 200食>

3月21〜22日 救援物資仕分け作業

3月21日(木)

・      活動場所:輪島市門前の福祉避難所

・      活動内容:救援物資寄付

・      寄付対象:福祉避難所人数75名(高齢者が多い)、被災職員。

・      寄付物資:米大2袋、クイックチャージ4箱、トマト2箱、油揚げ1箱、チーズ1箱、プロテイン1箱、ドレッシング3箱、きのこバター鍋の素2箱、肌着や膝掛けやタオル、洗顔料、菓子など。

3月22日(金)

・      活動場所:輪島朝市

・      活動内容:救援物資寄付、炊き出し

・      活動対象:自宅避難者、仮設住宅居住者

・      炊き出し内容:肉まん160個を約100名に配布。

・      寄付物資:米90キロ、トマト2箱、ドレッシング1箱、きのこバター鍋の素1箱、牛そぼろ缶1箱を、毎日のおにぎりと味噌汁の炊き出しの食材として寄付。他の物資は、炊き出しと共に並べ自宅避難者に対して寄付を行った。タオル1箱、マスク、洗顔料、除菌シート、男性・女性・子供用下着、肌着はほぼ全て配布。


 

<支援の活動と被災地の状況① 3月5−6日の状況>

・      完全自己完結型の支援として、水・ガス・簡易トイレ・テント・寝袋・食料を準備したが、輪島市内には、支援者がテントを張る場所もない。車には救援物資や炊き出しの物資が詰まっており、車中泊は困難である。高岡方面に宿泊し往復5時間で連日通うことも考えたが、高岡の比較的安いホテルは他の支援団体が宿泊しているためかどこも満室であり、1泊1万円以上の宿しか見当たらない。連日宿泊代がかかり活動費用が削られてしまうことは避けたい。とりあえず屋根さえあれば良いため、1月の医療支援時に宿泊させていただいたゲルに泊まれないかと、被災地の各地にゲルを作成している名古屋工業大学の北川先生に連絡すると、なんとか調整をしてみるとの話があった。その間、炊き出しをすることになった輪島市にあるNPO輪島朝市の被災者宅の一室をお借りできるという話になり、NPO輪島朝市にお世話になることにした。

・      ゲルは各地に建設されていたが、避難所によっては、ゴミ捨ての場所などになっていたりした。ゲルは、中に入ればゆったりした気持ちにもなれるため、使い方に少し残念な気持ちもあったが、物を置く場所も限られた被災地であるため、いろいろな用途があって良いのだと思った。

・      輪島朝市では、元旦の地震のままの姿が残っている。本来なら数千人のボランティアが連日被災地での片付け作業に入りボランティアで溢れていると思うが、そういう状況はなし。崩れた家や焼け野原がそのまま放置され、とても異様で静かである。被災者自身が自分の家を少しずつ片付けている姿のみ見かける。

・      今回の能登地震ではボランティアが宿泊できる場所もなく片付け作業が全く進んでいない状況。NPO輪島朝市では、そういった状況を踏まえ、被災者の自宅の一部をボランティアに提供している。そのおかげで、全国から学生ボランティアが集まり、毎日400食のおにぎりの炊き出しをおこない、被災した方が朝仕事に出る時にも、暖かいおにぎりと味噌汁を提供することができている。私たちはおにぎり炊き出しの隣の場所をお借りして、うどんの炊き出しをさせていただき、また、貴重な一室を宿泊場所としてお借りして活動をすることができ、大変ありがたかった。そのご縁で、2回目の炊き出しもさせていただくことができた。

 

<支援の活動と被災地の状況② 3月22日>

・      3月16日に北陸割が始まり、それを使って奥能登に比較的近い羽咋市もしくは氷見市などで宿泊を予約しようとするが、観光客もしくは支援者でどこも満室で10軒以上連絡したが予約が取れない状況。金沢寄りの河北市に1軒予約できたところがあったため、そちらに予約した。金沢や高岡などは、観光客が増え、支援者が泊まれる場所がさらに少なくなってしまったのではと懸念する。

・      能登の中でも七尾市は復興が進んでおり、能登島の民宿は支援者向けに宿を再開しているところがあった。しかし、七尾市ではまだ北陸割が始まっておらず、本来であれば復興支援のために宿泊したいが予算の都合で宿泊を断念した。七尾市の民宿も残念そうにしており申し訳なかった。北陸割はビジネス使用は不可とのことだが、ボランティアはビジネスではないため、できるだけ多くのボランティアが北陸割で宿を確保して、奥能登の支援に入れるようになってほしい。

・      奥能登の被災地では、支援者が宿泊できる場所がない。そのため、石川県はボランティアの人数を限定しており、毎日数十人の受け入れしかしておらず、作業時間も限られており復興が進まない。

・      3月上旬、珠洲市では(株)モンベル・アウトドア義援隊が、終日ボランティア活動に参加できるように、滞在拠点となるベースキャンプ「ボラキャンすず」を開設し、トイレ・電気・水道・Wi-Fiを完備し滞在しながらボランティアができるようにしている。しかし、こちらは最大60人しか宿泊できない状況。

・      3月24日、七尾市に、総社市等が100張・最大200人用のテント村を作り、ボランティアの受け付けが可能になった。しかし、このテント村は、基本は七尾市内の片付けボランティアのためのものであり、奥能登に支援に行くボランティアのためのテントサイトではないとのこと。

・      次回の4月8〜10日の炊き出しでは、上記の七尾市と珠洲市の2ヶ所のキャンプサイトに宿泊する予定である。学生の春休みが終わりテント村に空きがあるとのことで、片付けボランティアではないが宿泊可能とのことで、最低限のテント数をお借りして利用させていただくことになった。

 

<物資の寄付について>

・      3月7日、現地で不足している物資について、後日送付できるように調整するが、輪島市内はヤマト運輸チャーター便が停止しており届けることができない。他の方法を模索し、県内の支援団体などに声をかけるが各団体の物資搬送があるため難しい状況。3月21〜22日、穴水での仕分け作業に行くことになり、それに伴いチャーター便で送れなかった輪島市内への物資を直接搬入できることになった。3月21日現在、宅急便で輪島市門前に届くのは、クロネコヤマトのみ。

・      3月12日、輪島朝市では連日朝の6時から夕方まで、学生ボランティアが自宅避難者などに対しておにぎりの炊き出し支援を行なっているが、炊飯器が一つ壊れ3合用の炊飯器と鍋で、400個のおにぎり炊き出しをしており、大きい炊飯器を必要としていた。寄付を呼びかけ、子ども食堂を一緒に行なっている長野県内の方から、八合炊き炊飯器の寄付を受け、クロネコヤマト宅急便にてN P O輪島朝市に寄付した。

・      3月24日、21日に輪島市門前の福祉避難所に訪問した際に依頼のあったプラスチック皿100枚を、NPOホットライン信州を通してクロネコヤマト宅急便にて寄付を行なった。

 

<避難所について>

・      3月6日避難所となっている輪島中学校を訪問。避難所の避難者数は少なくなってきているが、輪島中学校にはまだ300人以上が避難しており、能登の避難所では一番人数の多い避難所である。教頭先生にお話を聞くと、学校の授業が再開している。輪島中学校の避難所の感染者は3月6日では0人とのことだった。徐々に校舎内にいる避難者は体育館に避難所を移動している。3月9日の卒業式には白山市に避難していた学生と校長先生が戻ってくるとのことで、卒業式が無事に終わるように準備されていた。

・      輪島中学校の避難所には自衛隊風呂があり、3月上旬も下水が通らないため、1月と変わらない様子で、多くの被災者や支援者が入浴しに来ていた。ボランティアに来ている学生も2日に1度入浴することを楽しみにしていた。

 

<復興状況・インフラなど 主に輪島朝市付近>

・      3月輪島市内の各所の空き地や学校のグランドを利用して、仮設住宅が各地に少しずつ建設されている。

・      3月5日に宿泊した輪島朝市の一部被災した家では、下水が震災後初めて流れるようになり、恐る恐るトイレの使用を開始した。完全自己完結型にて簡易トイレとトイレテントを持参していったが不要になった。3月22日に訪問した際には、使えるトイレが増え、下水は問題なく使うことができていた。

・      3月22日、上水道は出ているが、飲水としてはまだ飲めないとのことで、輪島中学校の自衛隊の給水所に水を汲みに行くのが日課になっている。調理に使う水も水道水は使わず自衛隊の水を利用している状況が続いている。

・      3月6日、輪島朝市周辺にて地震で道路の真ん中に隆起していたマンホールは修復され、車の通行ができるようになっていた。輪島駅前の交差点の斜めになった信号も修理されていた。

・      輪島市に行く途中にある「なかじまロマン峠休憩所」は、1月には閉鎖され仮設トイレが並んでいた。3月上旬に行った時には、トイレのみが復興し使える状態になっていた。3月後半では、店舗が復興し、たくさんの弁当や食べ物などが十分に購入できる状態となり、活気がついていた。

・      3月21日輪島市のコンビニはまだ下水が使用不可だが、七尾のコンビニでは使用できるところもあった。

・      3月上旬、輪島朝市近くにGenkyという食料品も売っているドラッグストアがオープンしており、3日分の食料を高岡で買い込んで奥能登に向かったが必要なかった。肉など生鮮品も購入可能であり、お金と車があれば被災者も物を揃えることができる。車が被災した方は、せめて自転車を借りれるようにして欲しいと声があった。

 

<仮設住宅者の状況>

・      仮設住宅では電化製品などの最低限の生活用品は揃っているが、箸や茶碗など家族全員分はないため、避難者自身で購入しないといけないものはたくさんある。

・      服がなくて困っていると声をかけてきた高齢の女性の話を伺うと、避難所に服を探しに行ったが、行政から避難所以外の方は受け取れないと言われた。家が潰れた人なら自宅から服などを探してくることができるが、家が焼けてしまった人には服どころか何もない。今来ている服も知り合いからの借りものとのこと。そのため、こちらから輪島市に連絡したところ、今は方針が変わり、近くの指定避難所(被災前から避難所に指定されている場所)もしくは避難所で服の寄付を受けられるとのこと。本人にお伝えするが、指定避難所には何もなかったとのことで、輪島中学校の避難所に行って服を探してみるとのことだった。

・      全国フードバンク協議会の方に、服の寄付はあるか伺うと、フードバンクには肌着はあるが服はないとのこと。

 

<自宅避難者の状況>

・      2月28日に行政からの物資支給が突然なくなり、輪島朝市のマリンタワーで行っていた物資支給所が閉まり、輪島朝市周辺の自宅避難者は戸惑っているとの声があった。2月末で物資支給が停止になったことは、発災から2ヶ月という区切りで行政は行なった様子だが、発災から状況は大きく変わらず、住民からの反発の声は大きかった。

・      避難所で生活している方は避難所慣れしてしまっている様子で、お互いを気にしながら問題を起こさないように気を遣って生活している様子だった。

・      3月22日時点では、上下水道が再開しているところが増えており、自宅で自炊ができている様子。米は十分あるが、おかずが欲しいという方が何人かいた。反面、まだ断水が続いている方もあり、洗髪もできないため、救援物資のドライシャンプーを持っていかれる方もいた。ペット用シャンプーは1個しか支援物資になく、ペットを飼っている方が譲り合って使うと言っていたが、ペット用の物資も需要がある。

・      行政からは、必要なものは支援金を使って購入するように言われるが、仕事もなくなり先が見えない状況で、必要なものを購入するには不安があるという声があった。

・      自宅避難者で高齢者のいる家族は、避難所の集団生活では他の避難者に迷惑をかけるからと避難所に行かれず在宅で生活している人もいる。家族の負担が大きくなり、そういった高齢者を抱える自宅避難者が一番大変な状況にあるとの被災者の声があった。

・      3月22日炊き出しに並んだ方々に、状況はどうかと伺うと、必要な物資は大体揃っているが、この先について漠然とした不安があるとのこと。

・      3月22日、おにぎり炊き出しを行っているNPO輪島朝市の理事は被災者でもあるが、被災者が炊き出し慣れしてしまっていると、炊き出し支援を続けるべきか悩んでいるような素振りもあった。3月6日に訪れた時は、理事は、避難所の自衛隊の食事は味が濃いため、お年寄りは特に朝市まで食事を取りに来る人が増えていると、朝市での炊き出しの需要が増えていることを話していた。状況は日々変わっている様子だ。

 

<救援物資について>

・      輪島市行政は2月28日で団体からの救援物資の受け入れを中止。

・      2月29日珠洲市行政に問い合わせるも返信なし。多忙のためか?

2月29日志賀町行政は十分に間に合っているとの回答あり。

・      3月5〜6日に炊き出しを行う避難所に、事前に必要な物資があれば寄付したいと考え確認したいと思ったが、輪島市行政から事前に避難所に連絡することの許可が得られなかった。そのため、不要であれば持ち帰ることを前提に、約700キロの救援物資を車2台に積み込み現地に向かった。

・      3月5日、100名が避難している門前中学校の避難所、75名が避難する福祉避難所を訪れると、市内各地にあった救援物資支給所が閉鎖され、困っているとのこと。タオルや化粧品や生理用品など、持ち込んだ物資はほぼ全て必要とのことで寄付を行ない、物資は全く足りないほどだった。中学校の避難所の女性などからは、化粧品をありがとうと、わざわざ外に出てきてお礼の言葉をいただいた。全て、行政から不要と言われた物資であった。

・      福祉避難所に関しては、避難所と異なり行政の支援が入らないため、委託された団体が自身で物資を集める必要がある。食事もスタッフが作る必要があるため、さらに大変な状況であるとのこと。福祉避難所の施設長は、これから75人どうやって生活していけば良いのかと不安そうにされ怒っていた。そのため、困っている物資について情報収集し、3月21日に再度輪島市に伺った際に、米や食料・飲料水・肌着などを福祉避難所に寄付した。

・      現地で炊き出しを行っているNPO輪島朝市は、炊き出し用の米や水や野菜などを必要としており、自宅避難者にも物資を配布することができるとのことで必要な物資を提供した。

 

<福祉避難所について>

・      食事は福祉避難所内にて職員が調理している。ほとんどが高齢者で介護の必要な方も多く、ミキサー食が必要な方には、ベビーフードなど離乳食でも代用が可能。プロテインは栄養が豊富のためミキサー食の方に使えるとのことでお渡しした。

・      上下水道がまだ完全に稼働していないため、洗濯ができない。入浴時に使ったタオルは、そのまま捨ててしまうため、吸水のより捨てても良い古いタオルの寄付を希望している。NPOホットライン親友や、全国フードバンク協議会には、要望を連絡したが、古いタオルは現在のところない様子。

・      お皿がないとのことで、3月24日にプラスチック皿100枚をクロネコヤマト便の宅急便で寄付をした。

 

感想

 

インフラや道路整備などの復興は徐々に進んでいる。しかし、潰れた自宅はそのままであり、手伝ってくれる人もいないため、片付けは被災者自身がするしかない。被災者は、先祖代々の潰れた自宅や焼け焦げた自宅跡を訪れては、悲しみをこらえて思い出の品を探すだけ。誰にも震災時の辛さを話す人がいなく、悲しみをこらえて日々をつなげている。

行政が行う支援には限界がある。多くの方は行政がボランティア募集を開始するまで待っている状況で、まだ行ってはいけない、行政の準備が整ってから行くべきだという人もいる。しかし、それでは遅すぎると思う。行政も被災者であり、災害対応のプロではなく、手を差し伸べて欲しいと思っている。震災からもうすぐ3ヶ月経過するが、状況はほとんど変わっていない。夏になれば炎天下のもと、作業も一層しづらくなってしまうと思う。

民間の動ける人たちが動いていかないと復興は進まない。民間によるテントサイト建設や、地元の民間団体や行う炊き出しなどは、一部の被災地における活動ではあるが、どれほど復興に役に立っているかと思う。家の片付けの重機ボランティアや洗濯ボランティアなどもほとんどが民間団体だ。

被災者は支援慣れしてしまい、避難所の段ボール生活にも慣れてきてしまっているが、これは行政による復興が進んでいないための結果だと考える。できるだけ早く復興が進むようにしなければ希望が見えてこない。

とにかく全国からのボランティアが入れるように整備し、物理的な片付けから進めていくことで被災者の心の復興もできて希望が見えてくると思う。ボランティアの方々が自宅に来て、震災時はどうだったか、今はどうかと気にしてくれて、話を聞いてくれて、一緒に片付けをするだけで、被災者の気持ちは前向きになる。ボランティアはただの片付け人員ではない。被災者の心を支えるためにも、できるだけ早い時期に多くの人がボランティアに入り、被災地を支えていく必要があると思う。動ける民間人は積極的に動いて能登に入り、被災者の心の復興を応援しに行きたい。

 

 

<次回4月8〜10日珠洲市内炊き出し計画>

・   4/9 200食 避難所にて 200食、4/10 40食

・   4月手伝い参加予定 8〜10名(メンバー長野県5、東京1、大阪2、金沢1から)

 

 

以上


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